PKU症状チェックシート
PKUに関連する症状をチェックしましょう。
フェニルケトン尿症(PKU)のある人生。
病気を知ることからはじまる、人とのつながり。
高橋 優一さん(仮名) 50歳代 男性
高橋優一さんがフェニルケトン尿症(PKU)と診断されたのは、
今から50年以上前のこと。
当時はまだ病気についての理解が十分に進んでおらず、
小学校入学時に食事療法を中止。再開したのは40歳を過ぎてからでした。
フェニルケトン尿症(PKU)が原因と思われる心の不調を乗り越え、
治療を再開した高橋さんに、
ご自身の経験から学んだこと、伝えたいことについて伺いました。
            
                                                
                                                フェニルケトン尿症(PKU)と診断されたのは、生後10ヵ月のときです。
尿からネズミのような匂いがする、
また、髪の毛の色が薄く、茶色がかっていることに違和感をおぼえた親が
私を病院に連れて行ったことが、きっかけだったそうです。
50年以上前のことですから、フェニルケトン尿症(PKU)のような生まれつきの病気を
出生時にみつけることができる新生児マススクリーニングは、まだ始まっていませんでした。
診断後、すぐに食事療法を始めたようですが、
思い出すことができる最も古い記憶は、幼稚園に通っていたころのこと。
治療用特殊ミルクを飲んでいた私をみた友だちから「おいしそう」といわれました。
当時は味のことをあまり考えることなく飲んでいたので
「おいしいわけではないんだけどな・・・」と。
その後は味覚の形成が進んだからでしょうか、
徐々にあの独特な味が苦手になっていきました。
それでも飲み続けなくてはならなかったことで
「自分は治療が必要な病気をもっているんだ」と、なんとなく理解していました。
                                                
                                                
            私の幼少時代(1970~80年代)は、フェニルケトン尿症(PKU)についての理解が十分に進んでおらず、
脳の発達に重要な時期を過ぎれば、治療を中止してもよいと考えられていたそうです。
そのため私も、小学校に入学し、給食が始まるのを機に食事療法を中止することになりました。*1
*1 現在では、食事療法は患者の性別や年齢を問わず継続すべきと考えられており、血中フェニルアラニン値を生涯にわたって2~6mg/dL(120~360μmol/L)に維持することが推奨されています。
 日本先天代謝異常学会編. 新生児マススクリーニング対象疾患等診療ガイドライン2019, 診断と治療社, 2019
苦労したのが、その給食です。
それまでは食事にいろんな制限があったのに、
いきなり、みんなと同じ給食を「食べなさい」といわれるわけです。
でも、食べ慣れないもの、食べられないものが多くて、残してしまう。
放課後まで居残りで食べさせられたこともありました。
ストレスからか、⼩学2年⽣の夏休みの終わりに急性胃潰瘍を発症、
9月から1ヵ月ほど入院して、胃を半分切除する手術を受けました。
さらに、そのときに罹患した輸血後肝炎のために体調を崩し、
小学3年生の1学期は、3ヵ月ほど休むことになってしまいました。
1年近くもの間、満足に学校に通うことができませんでした。
給食を初めて全部食べることができたのは、確か小学4、5年生のとき。
以降は毎日食べられるようになりました。
そのころには、見学ばかりだった体育の授業に参加できるようになり、
運動会にも出場するなど、元気いっぱいでした。
フェニルアラニンの値を測るため、季節の休みごとに病院に通っていましたが、
それ以外は自分がフェニルケトン尿症(PKU)であることを意識することのないまま、小学校高学年から中学、高校時代を過ごしました。
                                                
                                                
            
                                                
                                                高校卒業後、福祉系の大学に進学してからは、
実家を離れたこともあって検査も受けなくなりました。
大学時代は毎日キャンパスライフを満喫、
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、なんの制限もなく暮らしていました。
大学卒業後は病院に就職し、事務などに携わってきました。
フェニルケトン尿症(PKU)は症状を自覚しにくく、
すぐに死に至るような病ではないため、
成人になると食事療法を行うことなく過ごしている人が少なくないと聞きます。
私がまさにそうでした。
20~30歳代は仕事中心の、忙しい日々を送っていました。
そんな私が、40歳を過ぎたころに考えを改めることになります。
そのきっかけは心の不調でした。
            30歳代後半から40歳代にかけて、仕事でストレスを感じてイライラしがちになり、
また、怒りやすくもなって周囲と衝突することが増えました。
うつ症状ではないかと感じて精神科を受診し、
しばらく休職することになったのですが、そのとき、親から
「うつ症状は、ストレスではなくフェニルケトン尿症(PKU)の影響ではないか」
といわれ、ハッとしました。
フェニルケトン尿症(PKU)がうつ症状に関係するとは、
まったく思っていませんでしたから。
再受診した病院で、フェニルアラニンの値が非常に高いことが、
心の状態を不安定にさせている可能性があるといわれました。
うつ症状の原因は自分の外側にあると思っていたのですが、
実は自分の内側にあった。青天の霹靂(へきれき)でした。
当時、自分がフェニルケトン尿症(PKU)であることはほとんど意識していませんでしたが、そうとわかれば、対応も変わってきます。
フェニルケトン尿症(PKU)の治療(食事療法)を再開し、やがて仕事にも復帰しました。
                                                
                                                
                                                
                                                治療を再開したことで、フェニルアラニンの値は少し改善しました。
しかし、働きながら食事療法を徹底するのはなかなか難しく、
毎日、決まった量の治療用特殊ミルクを飲むのはつらくもありました。
また、仕事には復帰したものの、周囲との関係に悩むことが続いたため、
職場を異動することになりました。
異動後の職場ではトラブルを起こさないように、目立たないように、
静かに日々を過ごしていました。
そのころに出会ったのが、妻です。
結婚して妻の支えを得たことで、
治療も仕事も、どうにか続けてこられたと思います。
            私は45歳で改めてフェニルケトン尿症(PKU)の治療に向き合い、
食事療法を再開しました。
食べたいものを食べられないつらさから、十分な管理ができない日もあり、
フェニルアラニンの値は安定しませんでしたが、
治療用特殊ミルクは飲み続けるよう努めてきました。
食事療法を続けながら私自身もいろいろと調べることで、
フェニルケトン尿症(PKU)治療の考え方が変化していることを知りました。
そして54歳のときに、自分から主体的にフェニルアラニン値を管理目標に向けて
コントロールすることを意識した治療を行うことを決意しました。
先生が治療についてくわしく話してくれたときに、
私は二つ返事で「はい、よろしくお願いします」と答えたことを
はっきりとおぼえています。
治療を支えてくれている妻とは、いろんな話をしてきました。
以前は忘れ物が多く、仕事で気持ちが落ち込むこともよくあったのですが、
妻によると「最近は忘れ物が減ったし、穏やかに過ごせている気がする」と。
仕事上の人間関係にカチンッとくることは今でもありますが、確かに以前よりは気になりません。
「そういう日もあるさ」と、流すことができるようになっています。
                                                
                                                
            
                                                
                                                休みの日の楽しみは、まず草野球。
最近、肩が上がらなくなってきたのでもっぱらヤジ将軍ですが、
これからも続けていきたいです。
車で出かけるのも好きで、道の駅めぐりをしています。
定年後は愛犬も連れて、いろいろなところに旅行に行きたいと考えています。
私は小学校に上がるとき、時代背景もあって食事療法を中止してしまいましたが、40歳代半ばで再開しました。
管理目標を意識して治療を強化したのは、54歳のときです。
現在の考え方からすれば「遅い」といわれてしまうかもしれませんが、
今の私は「治療を再開してよかった」と思っています。
生活の中で思うようにならないこと、うまくいかないことがあっても、
治療を続けているという事実が心の支えになっています。
私がそうだったように、若いころは仕事もプライベートも忙しく、
病気や治療に向き合う意識をもち続けることが難しいという人が多いと思います。
そうした世代の人たちに私自身の経験をもとに伝えるべきことがあるとしたら、
「今すぐにでも治療を再開したほうがいい」ということ。
治療を再開しても、すぐにめざましい変化があるわけではありません。
それがフェニルケトン尿症(PKU)の治療を始めること、継続することの難しさかもしれません。
ですが、年齢を重ねて「あのとき治療をしておけばよかった」と悔いることのないよう、若い世代の人たちに、今こそフェニルケトン尿症(PKU)に向き合い、治療について考えてほしいと思います。
                                                                                    久留米大学医学部 質量分析医学応用研究施設/小児科
渡邊 順子 先生
フェニルケトン尿症(PKU)は、必須アミノ酸の一つであるフェニルアラニンの代謝・分解が
生まれつきうまく働かないことによって様々な症状があらわれる疾患です。
血液中のフェニルアラニン濃度が高い状態が続くと脳に悪影響を及ぼすため早期診断・早期治療が重要であり、
日本では1977年に始まった新生児マススクリーニングの対象疾患の一つとなっています。
今回お話を伺った高橋さんは新生児マススクリーニングが始まる前にお生まれになり、生後10ヵ月の時にPKUと診断されて食事療法を開始されました。
しかし、小学校に入学するときに食事療法を中止されました。
当時はPKUの治療は小児期までで充分とする考えの先生も多かったのですが、
現在では性別や年齢を問わず、生涯にわたって治療を継続すべきとされています*2。
高橋さんが30~40歳代に経験された、うつ症状や不安といった心の不調は、
PKUの治療を行っていなかったために血中のフェニルアラニン濃度が高い状態が続いていたことが影響していると考えられます。
PKUの治療は子どもの頃だけでなく、大人になってからも定期的な検査と食事療法を含む治療を継続し、血液中のフェニルアラニン濃度を適切にコントロールすることが大切です。
お仕事や日常の生活に追われる中で、治療の優先順位が下がってしまうこともあるかもしれません。
しかし、現在の心身の不調がフェニルアラニン濃度が高いことに関連しているとしたら、改めて治療に向き合うことで症状の改善が期待できるかもしれません。
ぜひ一度、かつて通われていた病院にご相談ください。通いやすい医療機関で、お力になれること、ご支援できることがあると思います。
*2:日本先天代謝異常学会編. 新生児マススクリーニング対象疾患等診療ガイドライン2019, 診断と治療社, 2019
「SORA no IRO ~PKUとともに~」はPDFファイルでダウンロードもしていただけます。
治療を受けていない、ご家族やお友達に、共有していただき、治療のきっかけになればうれしいです。